「泉南市男女平等参画推進条例」が12月議会で制定されました。

    はじめの、条文を紹介します。

 わが国においては、日本国憲法に個人の尊重と法の下の平等がうたわれ、「女子に対するあらゆる形態の差別の撤廃に関する条約」を基本にした国際社会の動きと連動して、男女平等の実現に向けて様々な取り組みが着実に進められ、男女共同参画社会の実現を21世紀の我が国国際社会を決定する最重要課題と位置づけ、総合的かつ計画的に推進するため、「男女共同参画社会基本法」が制定された。

 泉南市においては、平成14年3月に「せんなん男女共同参画プラン」を策定し、様々な施策を推進してきたが、社会のあらゆる分野において性別による固定的役割分担や社会慣行は依然として残っており、仕事と家庭の両立、女性に対する暴力の防止など男女平等参画社会の実現のために解決すべき多くの課題が残されている。

 また、少子高齢化の進展や社会経済情勢の変化に対応し、豊かで活力があり安心して暮らすことができる社会を実現するために、男女平等を基本として、自らの意思によって、性別にかわりなくその個性と能力を十分に発揮できる男女平等参画社会の実現が重要となっている。

 ここに、泉南市は、男女共同参画の推進を主要な政策として位置付け、男女共同参画社会の実現を目指すために、市、市民、教育関係者及び事業者が一体となって男女共同参画のまちづくりに積極的に取り組むことを決意し、この条例を制定する。

条例制定は第21条からなっています。

男女平等参画審議会委員がおかれています。

「国民健康保険税」の値上げに反対する請願」採択(泉南市12月議会)

切実な思い3211筆の署名が寄せられました。
最終本会議21日後も署名がどんどん集まってきました。
それだけ、切実なことがわかります。

2012年01月16日の記事

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出発式の泉南の空は眩しかった。市民の命と財産を守る消防職員に感謝

20012年1月8日(日)りんくう南部防災拠点施設で出発式が行われました。

故郷の与論島のお正月

                                                                                                                                                            

 

 

 

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子ども達は、海の白浜から清らかな砂を運び、お墓のまわりをきれいにします。さらに、履き清めた家の庭には、砂で模様を描くようにきれいにしていきます。

 家の入り口にはしめ縄を飾るのですが、両脇には竹を立て鳥居にみたてて飾り付けをします。ほとんどの家には防風林の役目をするガジュマルの木があります。
小さい頃の、ガジュマルの長いひげでターザンごっこや隠れ家?あそびを思いだします。

 家の近くの金毘羅神社でもよく遊びました。神社からみる初日の出、夕日はとてもきれいです。沖縄本島もきれいに見えます。
中学校まで与論で生活していた中で鮮明に覚えているのは、4月28日の前夜になると、本土から沢山の人がやってきて、夜になるとアコデオンを弾きながら”おーきーなわをかえせ~”と大きな声で歌っていました。

松明を焚き沖縄本島の松明の灯りを確かめているのです。その頃、父は「怖い人たちだから絶対に近づいてはいけない、近づいたら大和に連れて行かれる」ときつく言っていました。それでも怖いもの見たさでそっと出かけてしまいました。

 翌日は、沖縄側の船と与論(日本)側の船と海上27度線でエールの交換をしていました。私は知りませんでしたが沖縄復帰の運動だったそうです。
与論も終戦後一時期は外国?で鹿児島に行くのにパスポートが必要だったそうです。
沖縄は、日本に復帰しても今だ、米軍基地に囲まれ大変危険な目にあっています。。与党政権は沖縄の住民の声を聞き、公約をコロコロ変えずに、普天間基地は撤去するか海外へ移転すべきです。

初詣は種河神社で義母とともに沢山のお願いをする。

 元日の午後から次男家族がやってくる。朝から介護施設で暮らしている義母から「初詣に行きたくなった」と電話がありました。次男家族と母を迎えにいき新家の種河神社に詣でました。母は手押し車を頼りにしていて階段を登るのは諦めていましたが、肩をだいて1段1段ゆっくりと登りきりました。
「来年は来れるかどうかわからない」と母はとても喜んでいました。お賽銭のわりには沢山のお願いごとをしてしました。

 帰りに我が家に寄り道をすることにしました。我が家も玄関まで階段があるので、ここでも「ヨッシャ」と掛け声をかけ肩をだいて登りました。次男達もなにかと手助けしてくれ、やさしやが伝わりました。

 コーヒーを飲みながらおしゃべりタイムで母は久しぶりの息子の家に来てほっとしていました。

 私は年末から大忙し?だったのでお雑煮を頂いた後は年賀状書きに奮闘していました。2日もまだ年賀状書きです。昼には、滋賀に住んでいる長女の家族4人、長男家族4人、次男家族3人が集まり、孫達もてんやわんやしながら小さい頃、現在にいたるまで話はつきませんでした。

 世帯主の夫であり、父、おじいちゃんは、昨日は、企業団駅伝、2日は、箱根駅伝の合間に話の輪に加わっていました。毎年孫達は、トランプ、百人1首、ゲームをするとだれかは涙するのですが、今年は、我慢している姿がいとうしいかぎりです。成長している証でしょうね。

 夕食がおわり、ひと遊びするとそれぞれの家に帰っていきました。少し寂しいと感じるのですが、それぞれの家庭を大切に仲良く暮らしてほしいと親として願うばかりです。
 孫達の時代平和であってほしい、子ども達は、仕事が安定していてほしい。願いだけでなく私にできること頑張りたいです。

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